2026年9月20日の礼拝メッセージ
9月27日
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【ルカの福音書 9章23節】イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」
この聖書個所は「使徒たち」に対してだけではなく、「群衆」にも語られたものです。
それから、イエスは群集を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マルコ 8:34)
「だれでもわたしについて来たいと思うなら」は「誰でも(クリスチャンもノンクリスチャンも)イエスを救い主と受け入れたいのであれば」という意味です。
「自分を捨て」は、使徒たちの献身だけを意味せず「自分の考えで進まない」という意味です。
自分の考えで進むと神さまの御心は成就しません。そして「日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」と、日々自分に与えられた「召し」に立ち、神さまに従うようにと語られています。
「召し」は多様で、優劣はなく、福音宣教に一つとして欠かせないものです。そして、名護アンテオケ教会の宣教においても同じです。小さいと思われることを信仰により忠実に行うことによって、大きな働きが進んでいきます。
あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。(ヨハネ 15:16)
ですから、一人一人が神さまに語られたことを忠実に行って、神さまの計画の成就、栄光を、ともに、みていきましょう。


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